ねこ庭の独り言

風にそよぐ雑草の一言

ブレジンスキー氏著『大いなる失敗』 - 11 ( 日本共産党論 )

 ブレジンスキー氏の「日本共産党論」です。前回までに紹介している「中国共産党論」と、比較して読んでください。

 〈 ブレジンスキー氏の「日本共産党論」 〉

  ・共産主義の展望が暗いことを、雄弁に物語っているのは、日本における共産主義の不振である。

  ・アメリカに次いでいち早く工業化時代を脱し、高度情報化社会を迎えている日本では、すでに共産主義が政権を取ってもいいはずだった。事実共産主義は、日本で成功するチャンスが一番大きかったはずである。

  ・日本はその発展段階の工業化時代に、戦争を経験し壊滅状態に陥った。

  ・戦後の復興で、市民労働階級が力を取り戻した。国民の間に残った反米感情は、共産主義を受け入れやすい土壌を作ったはずだった。

 アメリカの知識層が、日本の本質に無知であることを教えられます。戦前でも、戦後でも、日本に共産党が政権を取る土壌はありませんでした。特に戦前では、天皇陛下も含め貧乏人以外は全て処刑せよという思想が、国民に嫌悪されていました。

 敗戦後に反米感情が生まれる余地があっても、即座に消滅しました。

 共産党の委員長だった徳田球一氏でさえ、「マッカーサーの占領軍は、解放軍だ。」と誉めました。米国敵視の急先鋒であるべき共産党の委員長が、こんなことを言ったのですから、左翼は腰砕けになりました。

 それよりも日本の政治家や学者たちが、臥薪嘗胆の心でマッカーサー元帥に協力したことが、国民の反米感情を消しました。

 「日本だけが間違っていた。」

 「軍人が、間違った戦争をさせた。」

  と、反米どころか自己反省する方向に、マスコミと学者が国民を誘導しました。

 ブレジンスキー氏は、それでもまだ日本人の気質を理解していません。

 当時の国民は、徳田球一氏が何を言おうと、自民党の政治家や学者たちが変節しようが構っておれない状況にありました。焦土となった街や村では、日々の食べ物にこと欠き、まずは働くことが優先しました。間違いなくあったのは、平和が来たという事実だけで、それ以外のことは考える余裕がありませんでした。

 敗戦後の日本には働く国民はいても、労働階級はいませんでした。共産党を受け入れやすい土壌は、どこにもありませんでした。氏の意見は、中国礼賛同様、多くの誤解の上で述べられています。

 しかし超大国アメリカの政府高官の意見ですから、耳を傾ける価値はあります。親中、反日の意見が堂々と述べられていることを知ると、日本の国際社会での位置付けがますます小さくなることを教えられます。

  ・そして核兵器に対する、日本政府の曖昧な態度は、日本共産党にとって国民感情を結集させる、格好の材料となったはずだった。

  ・このように、主観的にも客観的にも、好材料が揃っていたにもかかわらず、日本共産党の得票率は、戦後を通して10%を大きく超えることはなかった。

  ・最も高かったのが、昭和47 ( 1972 ) 年の10.9%で、直近の昭和61 ( 1986 ) 年の、衆議院選挙では、8.8%に落ち込んでいる。

 日本共産党を褒めることはしませんが、氏は批判のデータは細かく調べています。氏が日本に、無関心でないことだけが分かります。

  ・しかも、たったこれだけの票を得るために、日本共産党は日本の共産主義を、民族主義と関連付けて反米感情に訴えた。

  ・それだけでなく、ソ連、中国の両共産党とは、別個の独立した政党であることを強調したのである。

  ・また日本共産党は、中ソ両国の覇権主義を批判し、一時期両党との公式な関係を絶つことも辞さなかった。

 氏の著書を読み進むにつれ、私は氏が日本共産党について無知であることを知りました。この辺りの経緯については、「温故知新」の読書のおかげで私の方が知っています。

  ・日本共産党は、国内での支持層開拓のため、ソ連・中国の独裁政治を、声高に非難し、西ヨーロッパの社会民主主義・平和主義路線を採った。共産主義の統一ドクトリンを犠牲にして、ようやく日本共産党は、10%の得票率を得ることができたのである。

 私は宮本委員長がスターリンソ連と決別し、毛沢東の中国と決別した理由を知っています。ブレジンスキー氏は、中国共産党について偏った理解をしているだけでなく、日本共産党については、知識人と呼べなくなるほど無知でした。

  ・しかし、中国とソ連を非難したことで、共産主義の制度的欠陥をさらに国民に印象づけることになった。

 氏の一番大きな間違いは、当時の状況を何も調べずに喋っていることです。宮本委員長が決別したのは、ソ連と中国というより、共産主義の「暴力革命論」からの決別でした。

 日本国民が決して「暴力革命論」を受け入れないと認識したから、宮本氏は西欧の共産党改良主義的思考を取り入れました。殺人と流血を伴う「暴力革命」路線を捨て、民主主機国日本の共産党として、「議会制民主主義」通じて「革命」を達成する方向に方針転換をしました。この判断のどこがおかしいと、氏は言っているのでしょう。

 国民性を理解した宮本氏の平和路線への方針転換が、どれだけの勇気が必要な決断だったのか氏は語りません。こんなところで共産党の弁護をするとは、夢にも思っていませんでしたが、私は宮本委員長が「暴力主義」を排除した決断の正しさを評価します。

 天皇陛下を否定する思想だから、共産主義が日本で支持率が増えないのであって、共産党の活動の方法に原因があるのではありません。ブレジンスキー氏がいくら分析して見せても、私の記憶にある戦後の大人たちの姿には迫れません。

 指導者たちが愛国心を無くしても、一般国民はの国を愛し大切にする心を簡単に捨てなかったのです。軍人に騙されて戦争をしたのでなく、家族や故郷を守るため本気で敵と戦ったのです。焼け野原になった日本で、庶民は家族の食べ物を得るため懸命に働いていました。

 氏の間違いの根本は、日本人への無理解です。中国人の文化や伝統や誇りは理解しても、小国日本には興味がないようです。博学ですが、白人特有の傲慢さが鼻につきます。

 「日本共産党」に関する氏の意見を紹介しましたので、ついで「マルクス主義」に関する氏の意見を紹介します。

  ・マルクス主義によれば、共産主義はその発祥の地でこそ、政治的成功を収めるはずだった。マルクス主義革命の成就する機が熟しているのは、西欧であると、理論は予見していたはずだった。

  ・社会主義社会は、最初に西欧で建設されるべきであった。西欧こそ、典型的な資本主義工業社会であり、必然的に矛盾をきたし、崩壊していくサンプルになるはずだった。

  ・西欧での失敗だけでなく、アメリカと日本での共産党の失敗は、共産主義を信じる者には、イデオロギー的に気になっていることだろう。これは、共産主義が、時代遅れになっていることを、認めることになるからである。

 ここでは「マルクス主義」の矛盾と、イデオロギー的破綻を述べています。時代遅れの思想というより、「マルクス主義」そのものに無理があるのだと、説明しています。

 氏は日本共産党のの失敗を起点として、世界の国々の共産党の低迷を分析しますが、これ以上は煩雑なだけですから省略します。長いシリーズを書きましたが、氏だけでなく、アメリカ政府の高官たちに意外と偏った知識の持ち主が多いと知ったことが成果でした。

 私はこの本を息子たちに勧めません。それよりも、息子たちに言いたいのは次の助言です。

 本の名前は、もしかすると著者自身の反省だったのではないのだろうか。

  本を出版したのは、『大いなる失敗』だった。