ねこ庭の独り言

風にそよぐ雑草の一言

カトリックの神父さんたち

 キリスト様を拝むのがプロテスタントで、マリア様に祈るのがカトリックだと、キリスト教については今も無知だが、伝統と格式のある宗教だと相応の敬意を払い今日まで来た。

 少年時代は西洋崇拝の色濃い時だったから、荘厳な教会の建物や絵画に憧れの気持を抱いていた。少年の心のままで70年を生き、敬虔なキリスト教徒への好意を持ち続けてきた。教会の屋根に立つ十字架は、愛と正義を象徴する崇高な印だった。

 つい先日新聞の隅に、不思議な記事を見た。

 「9条にノーベル賞を 考える市民の集い 来月6日 習志野で」

 という見出しだった。

 習志野市と市の教育委員会が後援するもので、中身はカトリック教会の神父光延氏の講演と、オペラ歌手立川氏の公演である。「憲法改正」を願っている私には、「9条にノーベル賞を」なんて、首を傾げたくなる活動でしか無い。

 神父さんが、

 「なぜ9条にノーベル賞をなのか、キリスト教の立場から」という表題で語るのだと言う。

 カトリック教会の中心はローマ法王だから、キリスト教の総本山までが日本に干渉を始めたのかと、私は不愉快になった。この時期に何のため、法王は日本を困らせるような運動に手を貸すのだろうと、長年抱いて来た教会への敬意り念が一瞬のうちに薄れた。

 政界、財界、教育界、法曹界、マスコミと、日本の隅々にまで「反日・亡国の虫」が生息し、日々日本を貶める仕事に勤しんでいる。しかし宗教界までそうだったとは考えもしないことだった。 (  創価学会もあると言われるだろうが、私の中で学会は宗教法人でなく、政治活動をする団体という認識しかない。)

 私の疑問を解いてくれたのは、何気なく目にしたベッラさんのブログだった。
紹介されていた『クライン孝子』と『クライン孝子の日記』を読み、目から鱗とはこのことだった。

 今年の7月28日に、「日本カトリック司教協議会」会長の岡田武夫大司教と、副会長の高見三明大司教が、バチカンを訪問し、「法王様の訪日を要請する書簡」を手渡したと言うことだった。以前に同じ書簡を出しているが、返事がもらえないため、二回目の要請だったらしい。

 驚かされたのはその中身だった。

 原発即廃止、脱原発」、「憲法9条ノーベル賞を」

 認めて下さいなのか、ご理解下さいなのか。そこは分からなかったが、二人の大司教がやろうとしていることは、左翼運動家たちと同じ反日の政治活動だった。

 ローマ法王安倍総理からの訪日要請を受け、これには返事をされているが、二人の大司教の要請には返事が出されていないと言うことだった。司教たちが書簡を出した背景にあるのは、日本のカトリック教会と朝鮮総連が、平成17年に相互乗り入れを行ったことにあるらしいかった。

 相互乗り入れが何を意味するのか、私にはよく分からないが、相互に協力すると言うことらしかった。

 平成13 年1月に、悪名高い反日番組「女性戦犯国際法廷」というドキュメントを、NHKが放映し大問題になった。主催が朝鮮総連で、後援がカトリック中央協議会だったから、こんな以前から日本のカトリック教会は反日組織と深い関係を持っていたのだ。

 ネットで調べてみると、「女性戦犯国際法廷」の番組を作ったのは、これも反日団体の「バウネットジャパン」だった。ねつ造の「慰安婦問題」をアメリカや他の国々へ拡散し、韓国では反日感情を高める活動をしているとんでもない団体だ。

 クラインさんの情報では、日本のカトリック教会のすべてがそうなっているのでなく、一部の話だと注釈がある。

 けれどもどうなのだろう。カトリック信者が日本に何人いるのか知らないが、大司教がこんなことをしていて、一部とはどうも信じられない。

  ・驚くべきことは、「女性戦犯国際法廷」を主宰した 「VAWW-Net」揺籃の地は、カトリック教会の中枢にあった、ということです。」

 ベッラさんのブログに大きな文字で書かれているが、獅子身中の虫がこんな処にもいたという事実に失望と怒りを同時に味わった。

 シーザーのように、「ブルータス、お前もか。」と言いたくなる。

 これで先日の新聞記事と、つながるのである。大司教が狂えば、光延神父が狂ってもおかしくはない。天下の朝日新聞もだってトップが狂えば、下っ端の記者は馬車馬のようになり反日記事を書きまくる。

 神様の世界は別と信じて来たが、おなじ俗世の神職者どもであった。

 ちなみにこの光延氏は、上智大学神学部長であるとのことだ。いったいどんな授業をしているのか、こうしてまた、バウネットにつながる反日の人間が作られていくという構図だ。

 「平和憲法だ」「人権だ」「戦争放棄だ」と、美しい言葉に踊らされながら、日本は敵対国に浸食されている。経済政策に合点が行かなくても、反日・左翼勢力に敵視される安倍総理を、支えずにおれない理由がここにある。

 今日は疲れた。

 知ることは喜びであるが、知ることが苦痛である時もある。分かっていても、疲れる時がある。だが待てと、私の中のもう一人の自分が言う。

 「ご先祖様は、外国との争いごとに弱音を吐かれたか。国の誇りを捨てられたか。」

 「刻苦勉励、臥薪嘗胆して、今日の日本を築かれたではないのか。」

 「ああ、そうでした。」と、合点する私・・・・・こうなると、もう中学生の児童劇だ。

 しかし私は、こんな自分を笑わない。幾つになってもめげないですむのは、この青臭い言葉と心があるからでないかと、こぼれそうな涙を堪えながら胸を張る。