ねこ庭の独り言

風にそよぐ雑草の一言

ブレジンスキー氏著『大いなる失敗』- 3 ( 単純な人々と教養のある人々 ? )

   ブレジンスキー氏の、『大いなる失敗』の続きです。

 大学時代の私は、中途半端な学生でした。それでも、マルクスの『資本論』は読みました。理解できないところがあっても、読み通すという意志だけを持っていました。難解でも、嫌悪する本でも、手にした本は最後まで読むという読書スタイルは、現在も続いています。間違った解釈をしていても、この読書方法を続ければ、知識が積み重なるに従い、過去の間違いを知る時が来ます。

 反共の氏の書を手にしたので、これを機に初心に戻り、マルクスを検討したいと思います。

  ブレジンスキー氏の説明を、紹介します。

  ・共産主義が20世紀の歴史に、これほど大きな位置を占めてきたのは、教義の極度の単純化が、時代にあっていたからだと言えよう。

  ・あらゆる悪の根源が、私有財産制にあるとした共産主義は、財産を共有化することで真に公正な社会が、従って人間性の完成が達成できると仮定した。

  ・この考え方は何百万人もの心をとらえ、彼らに期待を抱かせた。

  ・新たに政治に目覚めた大衆の心理に、マッチした思想であった。この意味では、偉大な宗教の魅力に似ている。

  ・どちらも人生の意味を余すところなく説いており、その解釈の全体性と、単純明快さが人々を捉え、安心させ、そして熱狂的な行動に駆り立てたのである。

  ・偉大な宗教と同様に、共産主義のドクトリンは、人を見て法を説く。ごく単純な説明から、より複雑な哲学的解釈まで、様々なレベルの解釈が用意されている。

  ・ようやく読み書きができる程度の人には、すべてを階級闘争の話で説明し、共産主義によって、理想の社会が実現すると説いた。

  ・特に恵まれない人々に魅力的だったのは、人民の敵、すなわちこれまで、物質的に豊かだった階級に対する、暴力を正当化したことであった。

 貧しい学生だった私は、氏が解説する過程を経ていました。働いても働いても、暮らしが楽にならない両親を見ながら、こんな社会は間違っていると怒りを抱いていました。

 そんな暮らしの中から親たちが大学に通わせているのですから、呑気な私も、そのくらいのことは考えていました。

 ・嬉しいことに暴力が正当化され、今度は、物質的に豊かだった支配者が、虐げられ、抑圧され崩壊する番となった。

 ブレジンスキー氏は語りますが、私がマルクス主義に疑問を感じたのは、この点にありました。マルクス主義の国を作るためなら、貧乏人が金持ちを殺しても構わないという主張に馴染めませんでした。

 「マルクス主義は、憎しみの思想なのだろうか」

 精緻な理論に圧倒されましたが、私の心が燃えませんでした。

  「貧乏人のいない社会を作ろう。」

  「不公平な社会を、無くそう。」

 と、涙を浮かべて語っていた友の顔を覚えています。彼らは人道主義者で、献身を惜しまない善人でした。私が団塊世代の左翼主義者を、無下に否定しないのは、過去の経験があるからです。

 敬意と軽蔑の念が、彼らを見るたび心の中で交錯します。憎しみの思想に疑問を抱かず、よくも人生を貫いたという「敬意の念」と、思想の矛盾に気づけなかった「軽蔑の念」です。

 話が横道に逸れましたので、氏の意見に戻ります。

   ・こうしてマルクス主義思想は、知識人たちに人間の歴史を理解するための鍵を与え、社会や政治の変動を評価する尺度を与え、経済活動に関する知的な解釈を与え、さらには社会参加の動機づけを与えたのである。

  ・このように共産主義は、単純な人々も教養のある人々も、同じように引きつけた。すべての人に方向感覚と納得出来る説明と、道徳的な正当化を与えたのである。

  ・思想を受け入れた者は自らの正しさを信じて疑わず、自信を抱いた。とりわけ、すべては直接的政治行動をとることで得られるという、単純すぎる考えを植えつけた。

  マルクス主義ソ連だけでなく世界中に波及し、世界を二分する思想となりました。しかし私は、氏の言葉に引っかかりました。

  ・共産主義は、単純な人々も教養のある人々も、同じように引きつけた。

 そうだとしたら、思想に惹きつけられなかった私は、単純な人間でもなく教養のある人間でもなく、「宙ぶらりんな人間」ということになります。

 しかし私のような人間が、日本を右にも左にも傾斜させず中庸の国として守っているのではないかと、そんな気がしています。

 敗戦後のマスコミが反日左翼の論陣を張り、日本の過去を悪しざまに攻撃しても、鵜呑みにしなかった国民が多数を占めていたから、今の日本があるのではないでしょうか。

 資本主義と共産主義の功罪を理解した国民がいずれにも偏らず、政治家の言動を見ながら選挙の一票を入れてきたと、そう考えなくては日本の現在が語れません。

 マスコミは国の宝ともいうべき国民を、「無党派層」という言葉で一まとめにしています。「自分の意見を持たない人間」「ムードに流される、信念のない人間」という、軽蔑の意味を込めていました。

 全国の有権者数に占める無党派層の割合は、昭和45年から平成2年までのデータによると、

  平均して20%から30%となっています。

  平成2年の中頃に突然50%に上がりましたが、

  昨年は31.3%に戻りました。

 もしも無党派層が、マスコミが定義するような国民だったら、日本はとっくの昔に共産主義政権の国になっていたはずです。氏の著作を読みながら発見するのは、私たちの日本と国民の姿でした。

 米国大統領の補佐官の意見だとしても、押し頂く必要はありません。私たちは日本を中心に、自分の国の正義と真実を語れば良いのではないでしょうか。

  「奢る平家は久からず、ただ春の夜の夢の如し。」です。
 
 日本人である私たちには、昔から思想に対する自制心と謙譲の心があります。氏には無い、ご先祖様からのDNAです。
 
 明日は氏の説明する「レーニン主義」と「スターリン主義」を、紹介します。